2018-11-22 第197回国会 参議院 外交防衛委員会 第3号
かその後訪問いたしまして、一九九六年ですかね、イムラン・カーンと、これはクリケットの大英雄なんですが、まあ本当に国民的英雄がわざわざ日本に訪ねてこられまして、いずれ政治にという話をそのときにしたと記憶していますが、今回首相に選ばれ、まあ本当にそういう人的な交流というんでしょうか、私もその間に何回かパキスタンにも訪問して、当時ハク大統領かな、一九八九年ですかね、パキスタン遠征をしたときに、いきなりクエッタ
かその後訪問いたしまして、一九九六年ですかね、イムラン・カーンと、これはクリケットの大英雄なんですが、まあ本当に国民的英雄がわざわざ日本に訪ねてこられまして、いずれ政治にという話をそのときにしたと記憶していますが、今回首相に選ばれ、まあ本当にそういう人的な交流というんでしょうか、私もその間に何回かパキスタンにも訪問して、当時ハク大統領かな、一九八九年ですかね、パキスタン遠征をしたときに、いきなりクエッタ
私は、あのアフガンの空爆が始まった二〇〇一年の十一月にアフガンの国境近くのクエッタ、パキスタンのクエッタの病院まで行って、クラスター爆弾によって非常に被害を受けたたくさんの負傷者を見てまいりました。体中に爆弾の破片が刺さった母親、頭蓋内に爆弾の破片が飛び込んでいる乳児、もう本当に痛ましい光景で、今も忘れられません。
これは、私たち今、クエッタ、カンダハルをやっていますから、それは如実に感じます。 ただ、私たちは今、北部同盟のアブドラ外相とのコネクションルートがまだ残っていますから、必要があれば、今の政府サイド、それからもとのパシュトゥン族、双方に対して支援は続けていくこともしてまいりますし、現在は最大民族のパシュトゥンに対してやっております。
○緒方靖夫君 さて、きのう、一緒に調査に参りました小池議員が、クエッタでクラスター爆弾の被害者、そのことについて述べました。私自身もペシャワールで十一歳の少女と十六歳の少年がクラスター爆弾で負傷して入院している病院を訪ねて証言を得ました。調査団としてクラスター爆弾の使用を確認したことについて国連に通報したところです。
これは、南部の都市クエッタにあるアフガン難民病院に入院していた負傷者の一人、サミード・ウラちゃん、一歳の男の子であります。(資料を示す) これ元気そうに見えますけれども、レントゲンを見たらば脳の中に爆弾の破片が突き刺さっているんです。私たち行ったとき、二日前に手術をしたばかりだと。この子の傍らにはお母さんが横たわっていて、その方はもう爆弾の破片を全身に受けているんですね。重体であります。
アフガニスタンとの国境に面しているクエッタの町を訪問しましたが、国境が閉鎖されているにもかかわらず、多くの難民が親戚を頼り、隣の国パキスタンに流れ込んできておりました。 私たちは、難民キャンプで難民の人たちに会って話を聞くこともできました。
では、最後にまとめますけれども、実は、クエッタに日本名誉総領事という方がいらっしゃるんです。その方の家には河野洋平前外務大臣の委任状が掲げられているんですが、この人も私たちの調査団に、自衛隊はパキスタンに来るのか、パキスタン国民は日本に極めて友好的な感情を持っている、アメリカと一緒に軍隊を送れば友好関係が壊れる、やめてほしい、これはパキスタンの人たちの一般的な感情なんですよ。
それで、今行おうとしている米軍の戦争に対する支援の問題なんですけれども、実は、向こうに行って、私たちが行ったところは、さっきも申し上げましたけれども、カンダハルに近いパキスタン側のクエッタの難民病院に行ってきました。それから、同じくペシャワールの病院にも行ってまいりました。 そこで私たちが訪ねたのは、アメリカの攻撃によって傷ついた母と子供たち、その家族でした。
その人たちで生き残った人がクエッタに来ているわけですよ。懲罰を与えると言いますけれども、この住民はテロとは無関係の人たちですよ。 そして、言っているんですよ。私と同じクエッタの町で、アフガン出身でNGOの活動をしている二十四歳の女性と話す機会があって、その人が言ったことが非常に印象的でしたので、メモしてきました。こう言っているんです。この戦争は罪のない人を巻き込んでいる。
あとは、ペシャワールのリハビリセンターでアフガン難民を対象にローカルスタッフが医療の援助をしていて、日本人スタッフもそこに増員をしているということもありますし、それからクエッタにおいてはアフガン難民の子供たちを対象とした学校運営等をやっております。
ところが、けさまた沼田大使に、外務省から私はまだ直接ではございませんでしたけれども、けさ朝八時ごろでしたでしょうか、電話で聞いてもらいましたところ、現在、カラチ、クエッタ、ペシャワール等の各地で抗議集会やデモが行われております、十四日、クエッタ南方のジャコババードで行われたデモでは数人が死亡した模様であります、国全体として見れば、状況は、しかしコントロールされているという状態であるというのが一番直近
もちろん、クエッタを中心に若干シーア派の皆さんも出ておりますけれども、イランに出ておる難民はシーア派の、つまりイランの人と同じ宗派の人、特に我々日本人とそっくりの風貌をしておりますモンゴル系のハザラ族という方がイランに出ております。 我が国は、世界で一番熱心にこの難民の支援活動をしてまいりました。また、アフガン和平のために一番熱心に外交を展開してきた国であります。
いわゆる難民支援というふうなことの中で、ペシャワールやクエッタ近郊など、アフガン近郊に、アフガンの国境に近い難民キャンプで医療活動をやるというふうなことを想定していますか。物資輸送も含めてお聞きします。
そして、アフガニスタンとパキスタンの間では、ここで黄色の二つの点が示されておりますけれども、ジャララバドというアフガニスタン側とペシャワールの間、それからカンダハルとクエッタの周辺、多数の人々が国境を越えるには大体大きなところでは二つぐらいの検問所しかない、こう言われています。ところが、イラン側が閉ざされ、そしてここも実際上閉ざされている。
そして、ほかのクエッタでもやっています。十五団体がこの間、一日には会談をしています。その中で、イギリスの大きなOXFAMや、それからアメリカのセーブ・ザ・チルドレンなどが、今いろいろな情報交換をしてやっているわけですね。 私は、日本から人を派遣するのはいいと思います。しかし、今申し上げましたように、自衛隊として、自衛隊の指揮系統のもとで動くという形で難民キャンプにやるということには反対なんです。
それからまた、クエッタというところにもやはり難民があふれておりましたが、そこが当時見たときは大変みすばらしい、みすばらしいという言葉よりも人間がこれで生きているのかというような状況の中で、難民キャンプ何万人という中で、だんなさんを失った人たち、五千人からの未亡人、その中に井戸が一つしかないというような状況でした。